シンコーマルイまるよしひとりごと

マルイとまるよしの関係

1976年(昭和51年)3月推定・当時のチラシ

「ライフリーダーまるよし」

かつて、三条市を中心に全9店舗(本店、荒町店、大崎店、五番町店、島田店、塚野目店、燕中央店、本成寺店、メリア店)を営業していたスーパーマーケットで、本店はデパート調の6階建。地元では「まるよしデパート」と呼ばれていましたが、2002年8月に民事再生法を申請し、全店閉店となりました。

20代後半の年齢なら、少しは覚えている方も。

爺「おい。今夜の焼肉、まるよしで買ってきたか?」
孫「まるよし?ああ、マルイで買ってきたよ」
爺「肉はまるよしらな」

孫「ばあちゃん、マルイに買い物行ってくるわ」
婆「まるよし行くんなら俺も乗せてけや」

ご年配の言う「まるよし」を「マルイ」に自動変換。
日テレのケンミンショーで紹介しろよと感じつつ、
アタンとトタンの違いや、コメリの発音よりおもしろい気も。

しかし、なんででしょう。

まるよし閉店後、マルイは一部店舗を引き継ぎましたが、
三条市内の現存店舗を見る限り、

・本店→良食生活館三条店(閉店)→解体→あいでん本町店
・荒町店→マルセン荒町店
・大崎店→マルイ大崎店
・塚野目店→マルイ塚野目店

わずか2店舗なのに。

あいでんとマルセンは、そもそも地元で既存店があり、
置き換える必要は無かったと考えられます。

ただ、
先に挙げた爺と孫、婆と孫の会話は、
いずれのお宅も五十嵐川南側の「嵐南」と呼ばれる地区。
買ってきたその国産肉は、マルイ本成寺店のラベル。

よくよく考えてみると、
本店、島田店、本成寺店は現存しないものの、
まるよしの顧客が多かったであろう地区。

マルイ本成寺店や三条月岡店は新規出店のため、
まるよしとの関係は一切ありませんが、
大崎店や塚野目店の経緯を含めて考えると、
居抜き、新規出店に関わらず、

「マルイ=まるよし」

ご年配にはこの式が通っているのかも。

まあ、発音も似ていますし。
耳が遠いと、同じように聞こえるとか。
今は無きパルム1にも、パルム店がありましたし。


まるよしの末期に発行されていた「たまご切手」。
500円の買い物で1枚もらえ、一定枚数を貯めるとたまごパックやお米と交換できた。

しかしながら、
マルイは明治20年創業のまるよしを追い抜いて、
まるよし閉店時点で、15店舗を営業していました。

マルイの沿革を拾い上げると、

◆1993年9月時点 マルイ9店舗
分水店、吉田店、見附店、今町国道店、巻店、燕小池店、寺泊店、与板店、プラザ店

その後、コンスタントに出店を続け、

◆2002年9月時点(まるよし閉店時) 上記プラス計15店舗
新組店、中之島店、三条月岡店、柏崎松波店、栃尾店、田尻店

さらには、まるよし大崎店、塚野目店、燕中央店への居抜き出店を機に、
新規と居抜きを重ねながら、店舗数を増やしていきます。

マルイ大崎店(旧まるよし大崎店)

マルイとまるよしの成長差は、

国道8号線と国道116号線に沿って出店し、
古参の分水店、吉田店は1989年までに郊外へ移転。
以降は郊外立地で出店を続けたマルイと、

新津・加茂・三条・燕・見附の市街地を中心に出店を続け、
以降の郊外移転と新規出店は進めていたものの、
三条市街を中心とした地域に集中していたため、
郊外型大型店の進出の影響を、まともに受けてしまった印象もあります。

創業125年のまるよしと時代背景は異なりますが、
当時として、マルイは店舗数のわりに、
国道経由での広域出店を続けたことが、飛躍へとつながったのでしょうか。

マルイ塚野目店(旧まるよし塚野目店)

話を戻しますと…、

まるよしが閉店して、もう17年も経ちますが、

もし三条に嫁いで、
「おい、まるよしで肉買ってきてくれ!」
と言われたら、マルイで買いましょう。


余談ですが、シンコーのチラシも

まるよしのチラシついでに、
当時、三条市内で営業していた、シンコー(新交ストアー)のチラシを載せておきます。
シンコーも現存しませんが、11店舗も営業していた時期があるんですね。
場所すらわからない店名もあるし。
県立図書館へ行って、スーパーマーケット年鑑で調べないと…。

昔のチラシってアバウト。
産地表記もないし「写真はイメージです」も書いてない。
なんかほっこりする。

サンヨー 弥次さん(1コ69円)…食べてみたい。
タイムマシンがあったら行ってみたい!

市内局番が1桁って…
デスカウント、パンテーストッキング、スパゲッテー…
昭和ってすごいですね。

1978年(昭和53年)3月推定・当時のチラシ

j-rakuda

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